浮遊(FLTN)

刹那に生きすぎた

行儀の悪い書物―「学校が教えないほんとうの政治の話」

当時のカトリック教会に危害を及ぼすとされた書物の一覧である禁書目録

見え透いた啓蒙で言論空間を貶す行為を許さない。

前回の記事の投稿より5年が経とうとしている。10代のぼくはどうやら、ブログでも積極的に情報を発信して自らの秘部を惜しげもなく開チンしていたようだ。このところ、絶妙に厄介な疫病のおかげで人生で最後の学生生活を十分に楽しめずにおり、やつあたりばったり*1に今年の春先からまたTwitterを動かしている。キャンパスで期待していた人間関係の代替とまではいかないが、関西大学千里山キャンパスを中心とした学生たちとのゆるやかな意見交換のおかげで、精神に安寧をもたらしつつ、支払っている学費のもとを少しずつとり返すことができ、とても気持ちがいい。

文系の学生と本格的に交流するのは初めてだが、各々が自分なりの言葉を発信しているのに刺激され、脳死状態だったぼくのTwitterがいきいきとしているのがわかる。中でも、個人的に深く関わっていると感じている学生たちはブログや所属サークル刊行の小説などで頻繁に言葉を紡いでおり、要はそれに触発されて更新したのがこの記事ってワケ。w

本題に入るが、以前に関西大学が催していた「【新入生に贈る100冊関連企画】本のプロフェッショナルが選ぶ『オーダーメイド選書』」なるものに(新入生でもないのに)参加した。この企画は、開催当時の学長である芝井敬司教授がかなりの読書家であることも関連してか、その100冊をすべての学生が電子書籍としても閲覧できたり、この企画のように書店員などのプロに選書させたりなどができるよう、少なくない予算が割り当てられたようである。プロに選書してもらうには、あらかじめ所定のアンケートに答える必要があり、その問いは:

  • 「本が好きか」
  • 「どのジャンルに興味があるか」
  • 「何を本に期待するか」
  • 「どの本が印象に残っているか」
  • 「どのような夢があるか」

であった。ぼくの答えは、それぞれ:

  • 「はい」
  • 「(省略)」
  • 「自らの考えを今一度見つめさせてくれるような力があること」
  • 「聖書」
  • 「そこまで負担のないやりがいのある仕事で稼いで、その時々のやりたいことをやること」

であるが、プロが選書することに期待してか、とても摑みどころの難しい回答をしてしまったように思う。 アンケート回答後数日で、書店員の方より1冊の本を紹介していただいた。「学校が教えないほんとうの政治の話」である。

ぼく自身は、出自上社会制度や政治動向・行政手続きなどの、生活を営んでいくうえで理解を要請される、日本の秩序を形作るあらゆるものごとをなるべく知っておく必要があったため、その副産物としてぼくなりの確固たる政治的指向を持っている。先のアンケートでは、おそらくそれを読み取ることが難しかったのかもしれないが──ある意味それを見越したうえでの確信犯的な選書だとしても──初心に立ち返ってものを摂取することは大切だと考え、また、プロのオーダーメイドな選書体験など初めてであり、抑えきれないドキドキとウキウキに背中を押され、ページをめくっていった。

この記事を書いているときには、ほんの詳細な内容も、読了後の感想もはっきり思い出せず、本自体も電子書籍を利用したため手元にものがなく再読ができず、現時点での新鮮な感想を綴ることはできないが、選書を経たさいには選書いただいた方へ本の感想を申し伝えることになっており、幸いにもそのときの感想は残っているため、まずはそれを掲載する。端的にいえば「無礼かつ乱暴な政治思想の捉え方で読者を教化させようとする姿勢が浅ましく、また、恣意的に人々を分断させようとする言動は軽蔑せざるを得ない」と言っているのだが、読み進めていけばオブラートに包みきれていないぼくの怒りが十分に伝わるだろう。

本のプロフェッショナルである推薦者より、「学校が教えないほんとうの政治の話」をお薦めされたので、読んだ。 そもそも、私が提出したカルテの「印象深かった本」に「聖書」をあげるという、まるで本企画の趣旨を無視するかのような振る舞いに冷静に対処していただいて、感謝の念でいっぱいである。ちなみに「聖書」をあげたのは、あくまでも私の信仰する宗教がそれだからである。

さて、本書はまさに「自らの考えを今一度見つめさせてくれるような力」があったように感じる。政治の諸要素を二項対立で単純化し、それぞれを平易に解説し、それらの歴史と現在・理想と実際を表している。なるほど、この本は、政治のセの字も分からない者には、それらの必要十分な解説をまるで講義のように述べ伝える先生のように、私のような、政治を分かった気になっている者には、自らが信奉する主張主義の醜悪さをあらわにする鏡のように作用する。挑発させるようだが読みやすい文体も相まって、非常に不愉快な思いをしつつ、それでも納得させられ続け、いつの間にか最終頁のその次をめくろうとしていた自分に気づいた。

非常に驚いたことがある。これを読んだうえで、それでも自分自身の政治への考えが変化しなかったこと、そして、著者の考え方が未だ旧態依然だったことである。これらはいわば同値である。

政治に具体的な興味を抱いた中学生の頃より、私の考え方は緩く変遷し続けている。現在では、Stableな与野党には辟易しているので、それらのいずれでもない、いわばTrendyな政党を適宜吟味するようにしているが、著者は古典的なホームグラウンド指向のようだ。 党の綱領と大筋の主義主張のみを見、それらを実現させるための手続きや、そもそもの政治手腕にはこだわらない者たち。敵と味方に二元化して、味方に常に与する者たち。この本も同様の構造である。最悪だ。森羅万象は明確に分けることができず、それぞれが緩やかなグラデーションを纏って存在していることを今一度認識すべきである。どうかこのような者たちが「自分は科学的態度を持ち、そこから自らの意見を絞り出して言論の場に持ち込んでいる」と勘違いしていませんように、と祈らざるを得ない。

本来であれば、私自身の指向を詳細に記すべきなのだが、あろうことか文字数を超過してしまうので断念する。このような者が未だ存在するのならば、私が言論活動を始めるのも時間の問題か。(当該の本へのぼくの感想)

怒りをそれっぽい文章に落とし込むのはとても気持ちがいい。さて、プロの書店員の選書と当該の本にたいしてこんな感想を抱くほど、当時のぼくは怒りに満ちていたようだ。本の内容の構成は、随所随所に過去や現在の日本の諸制度の説明を行いつつ、「右翼」とか「左翼」といった政治・経済思想の立ち位置の二項対立的な説明を行い、読者に自身の政治的指向を自覚してもらう……とのテイで、著者がひいきにしている「リベラル」への誘い、もといアジテーションがなされていたように思う。「政治のセの字も分からない者」でもスラスラっと読めるようなとっつきやすい文体で書かれていた、人に薦めたくなる本であった。内容を除いては。

本格的に指摘したいところをいう前に、そういや、前半における「右翼」だったか「保守」だったかの説明で、体制派だの排外主義的だのといった印象を植え付ける説明がなされており、「これはレッテル貼り以外の何者でもないのでは……」と読みながら感じたことを、今ちょうど思い出した。著者の政治思想がリベラルであるがゆえの言説だろう*2が、いくら「政治のセの字も分からない者」を対象とした本とはいえ──むしろそのような本であるがゆえに──雑な所感を記すに留めるのは、あまりにもリスペクトの欠いた行動ではないのかと頭を抱えてしまった。ちなみに、ここで感じた不穏な空気はあとがきまでキッチリ共有されていたので安心してください。w

さて、この本の悪辣な点は、引用している感想にも記されているとおり、「敵と味方に二元化して、味方に常に与する」ことを是としていることだ。Twitterまとめサイトなどでよく見かける党派性にまみれた書き込みも、その考え方から出てくるものだといえる。ぼくが覚えている限りでは、「日本の現状を変えたいなら、排外的で体制派の与党ではなく、多様性志向かつ反体制派の野党を支持しましょう」といった印象を受ける言説がなされていたように思うが、このような雑な論理を「学校が教えない」のは至極当然であって、それを「ほんとうの政治の話」と形容しているのだからたちが悪い。

仮に、枝葉末節を捨象して一般に何かを論ずるとしても──そもそも過度な類型化はその「何か」を見誤るのだが──あらかじめ「森羅万象は明確に分けることができず、それぞれが緩やかなグラデーションを纏って存在している」ことを、しつこく念入りに説明すべきだ。「政治のセの字も分からない者」は、(社会統制に身を委ねるだけで安心できる生活を送っていたり、日常的生活空間に社会的マイノリティの人間がいなかったりするため)政治どころか社会*3*4をもすっかり分からない人たちばかりのように思えるからだ。たとえば、外国人参政権の問題についていうならば、その権利を要求する活動的な集団をニュース番組などで見かける一方で、あなたのように、社会運動や政治活動をせず自分の生活をただただ謳歌している人々も存在する(ため、すべての在日外国人がそれを望んでいるわけでは決してないのだが、後者が可視化されることはあまりない)。このようなことを意識したうえで混み入ったことを考えなければ、各々の属性に過適合した抽象存在をもとにあらゆることを論じてしまうような、無用な思考回路と尊大な言論態度を手にすることとなってしまう。ちなみに、活動的な在日外国人よりそうでないほうが多いのは、在日日本人がそうであることとまったく同一であり、この類のステレオタイプを打破するためには多少の思考訓練も必要であるように思う(が、もちろんこの本はそのような指導を行いません!w)。

ようは、著者のいうような「過度な類型化を施した一枚岩的なそれらを雑な正義の天秤で測る」思考では、目の前に起きている諸問題や自分自身の苦しみを適切に解釈できなければ解決もできず、いたずらに人々の対立を深めるだけで、かろうじていっときの溜飲を下げることしかできないのだ。ぼく自身は、その思考回路では世界の平和と安寧がもたらされることは(これまでもなかったしこれからも)一切ないと確信しており、著者の考え方と根本的に相容れないため、このとき「最悪」と一刀両断したのだろう。

ついでに言っておくと、この本の終盤だったかあとがきだったかで、読者を(著者の政治思想である)リベラルの陣営へオルグする内容を書いたことにたいして「世界平和・社会正義のために多めに見てほしい」といったことを述べていたような気がする。「学校が教えないほんとうの政治の話」との題は、本の内容がなるべく中立に書かれていそうな印象をうけ、また、政治に興味を持ち始めた無垢な人々が手に取りやすいものだと思う。著者のその言動が、想定される読者を「洗脳」するだけでなく、日本における「リベラル」、ひいては書籍一般や知性主義への信頼性を著しく損わせるものだとは思わなかったのだろうか。著者には良心の呵責がないのか、職業倫理を意識したことはないのか、「正義」のもとではすべてが許されるとさえ思っているのだろうかと、今もなおそんなことを考えている。「政治に中立はない」を免罪符に好き勝手わめく。プロパガンダしている以上、「ひいきのチーム」*5をつくろうとの読者への語りかけは、自分の狡猾な言動を正当化するためにしか聞こえない。「政治に中立はな」かったとしても著者はなるべく中立的にものを書こうと努力すべきだし、「ひいきのチーム」の主張を批判的にとらえるようにもさせなければ「ホーム」と「アウェイ」で人々が分断させられるだけで、平和には何ら貢献しないことを今一度自覚すべきだ。本の売上げのためならセンセーショナルなことだって厭わないのであれば、彼らが愛国ビジネスを批判する筋合いはまったくない。

それにしても、一体なぜプロの書店員はこのような本を薦めたのだろうか。正直にいえば(読みやすさを重視しているのもあり)内容はそこまで濃くなく、得られるものもそんなに多くない本である*6。個人的には「指定図書を読んでその内容を批判する」といった、リテラシーを養う趣旨の講義での指定図書としては存在価値があると思った。選書をしてくださった書店員からの、ぼくの感想への返信も(おおむね丁寧ながらも)随所随所に怒りをにじませたかのような迫真のメッセージに仕上がっていた*7ような気がする。

現代日本言論の自由は未だ存在するが言論への信頼はもはや無尽蔵ではない。先人が勝ち取ってきたその信頼が自己中心的な動機で毀損されているのを、ぼくは看過することができない。

見え透いた啓蒙で言論空間を貶す行為を許さない。

「学校が教えないほんとうの政治の話」: 1点(5点中)

皆さんの感想もお訊きしたいため、是非お読みいただきたいです。

*1:かつてユーチューバーだったSyamuの造語

*2:皮肉です

*3:社会が多様であること

*4:社会が多数派と少数派とで成立していること

*5:自分の政治思想の立ち位置のことだが、文中では「政党」そのものを示唆している気がした

*6:散々言っているが毒ですらある

*7:紛失したため見つけ次第大意を掲載します……